ミーティングを無くせ!という言葉の本当の意味
ミーティングという手段は強力だけどパワーを多大に要する。もっと大事に開催するといい。大事に扱った方がいい。そういう事を述べたいです。
ミーティングを無くせというかけ声、様々な場所で目にするが
ミーティングやめることが原因の解決になるってよみならいいけど、あんまりそういう例みたことない。短縮がいいよ。だんだん枯らすの。
— BASH (@bash0C7) 2015, 1月 24
なんらかの解決のための工夫の結果でてきた適応手段なんだから、短絡的に止めても原因はそのままになるのぞ
— BASH (@bash0C7) 2015, 1月 24
ミーティングの意味とは
ミーティングは同期ポイント
— BASH (@bash0C7) 2015, 1月 24
全員の仕事や認識を、一カ所に集めて同期を取るのがミーティングの大きな価値です。人間系でASID原則を期待できる凄いやり方なんです。
重要だから濫用は惜しい。ミーティング工数は節約したほうがいい
— BASH (@bash0C7) 2015, 1月 24
それだけにだいたい高コストになります。調整コスト、集まるコスト、誰かが遅れて待つコスト、紛糾するコスト色々ある。そりゃやめたくもなる。それはわかる。
でもそれを不要だから止めるというのは対症療法すぎる。ちょっと考え方を変えると位置づけがかわる。
ミーティングを貴重なものとして扱うといろいろみえてくるはずよ
— BASH (@bash0C7) 2015, 1月 24
大事な役割を果たしているのがミーティングです。濫用を避けて要所を見計らう、別の軽量なやり方を併用する、そういう風に考えるのはどうでしょう。 そうするとむやみやたらとミーティングを開く、長時間拘束するという事は惜しくなります。ミーティングを開くインセンティブが自然に減って、短時間で収まる様になるでしょう。まずはここ。
その上で、十分に枯れて役割を終えたミーティングを取りやめて行く。これまでお集りいただきありがとうございました。っていい感じに終わっていく。それが建設的なやり方ではないでしょうか。
目を三角にして、ミーティングは無駄じゃあ!止めろ!っていわゆるマサカリを投げなくてもいいんです。何もそんな刺激のきつい方法をとることは無いんです。